詩 あの高き嶺に向かって

詩 あの高き嶺に向かって

選民祝福家庭6000双の祝福記念37周年に

松坂龍太郎(Toshizo matsunishi)

この道は 神の子羊にどこまでも従う道

すべてを 信じ、すべてを忍び すべてを耐えて、すべてに望みを持って 再臨の主・一人息子に最後まで従う道 再臨の主の新婦・ひとり娘に最後まで従う道

新しい世界を 夢に見て 神の子羊と共に進む 勇気を持って進む

自分の命よりも強い信仰で進む道 信仰と真理と真の愛の 最高のエベレスト 天のみ旨の高地に向かって進む道

サタンに侵害された道を突破克服して 夫婦で 一歩、一歩、進んで行く道

未踏の道を進め! 冒険者たちよ!

地上の先人達が踏んで進んだ道を 彼らが、だれも進んだことのないこの道を ぼくらは、いのちがけで開拓して進んで行こう

ある時は泣きながら ある時は迷いながら ある時は歓喜の中で ある時は悲しみながら

夢を信じて進む 自分をもっともっと信じて進む 夫婦で 一歩、一歩、進んで行く

創造主・神様を絶対的に信じて 再臨主・文鮮明師・韓鶴子総裁御夫妻に 絶対信仰を捧げて 心迷わずに、自分を捨て、自分の十字架を背負い

神の摂理史における誇れる選民祝福家庭として

縦横の氏族を連れて 人類を代表して進む道

ぼくらは、 前人未踏の創造主・神様の直接主管の愛の世界へ 共に、夫婦が一心一体となって進んで行こう!

永遠の夫婦を目指して!

(2019.10.14)

 

摂理の春の季節 2019

摂理の春の季節 2019

   松坂龍太郎

 

厳冬の忍耐の中で

唯一の希望

春の季節

 

気の遠くなる悠久な人類歴史

堕落しない人間始祖が

待ち望んだ

神に侍る国がこの地球星に誕生する2019年

 

今のチャンス

逃すものか!

 

厳冬の忍耐の中で

唯一の希望

春の季節

 

(2019.4.9)

 

故郷の空港に咲いていたバラがぼくを迎えてくれた

時は待ってくれない。そのチャンスを逃がしてはいけない。

文鮮明先生の自叙伝の中に御自身の母との思い出が紹介されていた。

「日本が始めた大東亜戦争の戦況は日増しに切迫していきました。切羽詰った日本は、不足する軍人の穴を埋めるために、健康な二十歳以上の学生を休学させて、学徒兵として出征させました。そのため、私も六カ月早く卒業することになりました。 一九四三年九月三十日に卒業して、故郷の家には「崑崙丸に乗って帰国する」と電報を打っておきました。ところが、帰国船に乗ろうとした日、足が地に付いて離れないという不思議な現象が起きました。出航する時間はどんどん迫ってくるのに、どうしても足を離すことができず、結局、箆喬丸に乗り損ねてしまいました。「崑崙丸に乗るなという天のみ意のようだ」と思った私は、しばらく日本に留まることにして、友人たちと富士山に登りました。数日後、東京に戻ってきてみると、世の中は上を下への大騒ぎになっていました。私が乗ろうとした崑崙丸が撃沈されて、韓国に帰る乗船者のうち五百人以上が死んだという話でした。毘嵜丸は、当時の日本が誇る大型高速船でしたが、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没してしまったのです。息子が乗る船が沈没したという知らせを聞いた母は、確かな情報を得るため、そのまま履物も履かずに定州邑の中心街まで二十里 (約八キロメートル) の道を走っていきました。足の裏に太い棘が刺さったことにも気づかないで、魂が抜けたように私の名前ばかり呼んだそうです。その後、汽車に乗って釜山に下ってきました。釜山の海洋警察署に到着してみると、乗船者名簿に息子の名前はなく、東京の下宿からはすでに荷物をまとめて出発したと連絡を受けていたので、呆気にとられるばかりでした。」(文鮮明自叙伝87ページ)

 

自分のいのちよりも息子を気が狂うように愛された文鮮明先生の金慶継お母様の思い出だ。

「息子が乗る船が沈没したという知らせを聞いた母は、確かな情報を得るため、そのまま履物も履かずに定州邑の中心街まで二十里 (約八キロメートル) の道を走っていきました。足の裏に太い棘が刺さったことにも気づかないで、魂が抜けたように私の名前ばかり呼んだそうです。」

 

ぼくは、親として子への、いのちをかけて愛する時が来ることを。愛する瞬間を金慶継女史より学んだ。文鮮明先生は、その母親の愛の思い出をもって霊界に旅立たれたと思う。

子供に愛の贈り物を与えるチャンスが来た時、我を忘れて狂ったように永遠の愛を子供の心に届けましょう。

 

故郷の空港に咲いていたバラが、ぼくを迎えてくれた。 (2016.11.12)

 

信仰告白

信仰告白 

 

僕は、1949年に北海道の渡島半島で生まれた。1969年1月、僕は、友人から統一原理を紹介され今年で信仰生活48年になる。僕の伝道される前年、1968年、川端康成ノーベル文学賞を受賞して日本中が喜びに沸いた。18歳の僕には、強い刺激であった。なぜなら、その頃、僕は、小説家を志望していたからだ。そのような中、僕は伝道された。ぼくは、神主義の理念と出会った。田舎から札幌に出た時のことである。僕は、男子修道院の経営する函館ラ・サール高校で聖書も学んだ。そのせいか、統一原理は抵抗なく受け入れることができた。即、献身した。今日まで、開拓伝道を6都市で歩んだ。千葉・船橋市、長崎・島原市、北陸・小松市七尾市、埼玉・蕨市、東京・渋谷区である。20年の間に持病の腰痛で6回入院。内外の試練を味わった。きびしい歩みであった。

真の御父母様(文鮮明師御夫妻)との出会いは、献身後、すぐに訪れた。僕は、1969年4月20日、東京・渋谷の本部教会での聖日礼拝に参加した。そこで49歳のお父様の説教を初めてお聞きした。「真の子女となりましょう」という題目であった。お父様は、汗をびっしょりかきながら、滝が流れるようにみ言葉を語ってくださった。その後の人生において文鮮明師の説教は、僕の魂に刻まれた座右銘の説教となった。僕のお父様に対する最初の理解は、熱弁を振われる村長さんという次元であった。お父様の背後にある歴史的事情まで悟ることはできなかった。次の出会いは、1800双の祝福を受けて間もない1975年2月13~15日の東京・日本武道館「希望の日講演会」での講演が思い出に残っている。お父様は、日本国民の大衆に向かって力強く訴えられた。「文先生以上の教えがあれば、先生もそこへ行くよ。」お父様は、自信にあふれて言われたのだ。その背後に43日間にわたる霊界での霊的闘いの勝利があったことは、後になって僕は知った。僕も原理に対して自信を持ちたいと思い、比較宗教の勉強に取り組むようになった。

僕の闘病中、内村鑑三の随筆集と出会った。僕は、それが縁で詩を書き始めていた。僕に衝撃的事件が起こった。それは、2003年2月6日、清平で「天宙・天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」が挙行されたときのことであった。朴普煕先生がお父様の詩を朗読されたのだ。お父様が 、16歳のときに創られた詩「栄光の王冠」の紹介であった。2001年の世界詩競大会(主催・国際詩人協会)で最優秀賞に選ばれたという詩である。僕は、その詩を聞いて悟った。日本でも再臨主を迎えるために神様によって準備された人物、 内村鑑三先生や賀川豊彦先生が、詩を書かれているが、詩「栄光の王冠」は、彼らの詩とは全く違っていたのだ。

聖書のヨハネの黙示録5章5節に「ダビデの若枝である方が、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解く」という句を僕は、思い出した。この詩を創られた16歳の文少年は、まさに永遠の平和の王として立つと預言された「ダビデの若枝」の器を持たれた方なのだと僕は、深く悟り、確信するようになった。詩の行間に文少年の聖いキリストの心を直感したのだ。

僕は、「この方は本当に、メシヤなのだろうか」と悩み、信仰の葛藤を抱いていたのだ。僕は、堕落性の深い泥沼を抜け出せずにいた。もちろん、お父様を再臨のメシアと信じていたが、僕の良心は満足していなかったのだ。詩「栄光の王冠」は、僕の悩みを見事に消してくれたのだ。僕の良心は満足した。人類が血の闘争に明け暮れたのも、第一次世界大戦で殺戮戦があったのも一人のお方の誕生を迎えるためであると原理講論は述べている。

ああ!1920年にお生まれになられた一人のお方は、無原罪で地上誕生された再臨の主、人類が待望した再臨のキリストであると僕は、悟り、確信を深めたのである。

1960年、ひとり息子・文鮮明師とひとり娘・韓鶴子総裁の神の小羊の婚宴がなされた。お二人の御聖婚のその日は、人類の救い主・真の父母様が誕生したお祝いの日となったのである。

 

詩 栄光の王冠

文鮮明

私が人を疑う時 私は苦痛を感じます。 私が人を審判する時 私は耐えられなくなります。 私が人を憎むと時 私は存在価値を失ってしまいます。 しかし もし信じれば 私はだまされてしまいます。 今宵 私は手のひらに頭を埋め 苦痛と悲しみに震えています。 私が間違っているのでしょうか。 そうです。私が間違っているのです。 たとえ だまされたとしても 信じなければなりません。 たとえ 裏切られたとしても 赦さなければなりません。 憎む者までも ことごとく愛してください。 涙を拭いて 微笑みで迎えてください。 人をだますことしか知らぬ者たちを 裏切りながらも 悔い改めのできない者たちまでも・・・。 おお主よ! 愛するという痛みよ! 私のこの苦痛を御覧ください! 熱きこの胸に 主のみ手を当ててください! 私の心臓は 深き苦悩ゆえに 張り裂けんばかりです。 しかし 裏切った者たちを愛した時 私は勝利を勝ち取りました。 もし あなたも 私のように愛するならば 私はあなたに 「栄光の王冠」をお捧げします。  -栄光の王冠 (Rev. Sun Myung Moon 1935年)―  

( 2017.9.23)

 

 

詩 栄光の王冠 文鮮明

詩 栄光の王冠

文鮮明

私が人を疑う時 私は苦痛を感じます。 私が人を審判する時 私は耐えられなくなります。 私が人を憎むと時 私は存在価値を失ってしまいます。 しかし もし信じれば 私はだまされてしまいます。 今宵 私は手のひらに頭を埋め 苦痛と悲しみに震えています。 私が間違っているのでしょうか。 そうです。私が間違っているのです。 たとえ だまされたとしても 信じなければなりません。 たとえ 裏切られたとしても 赦さなければなりません。 憎む者までも ことごとく愛してください。 涙を拭いて 微笑みで迎えてください。 人をだますことしか知らぬ者たちを 裏切りながらも 悔い改めのできない者たちまでも・・・。 おお主よ! 愛するという痛みよ! 私のこの苦痛を御覧ください! 熱きこの胸に 主のみ手を当ててください! 私の心臓は 深き苦悩ゆえに 張り裂けんばかりです。 しかし 裏切った者たちを愛した時 私は勝利を勝ち取りました。 もし あなたも 私のように愛するならば 私はあなたに 「栄光の王冠」をお捧げします。   -栄光の王冠 (Rev. Sun Myung Moon 1935年)―

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神主義の先駆者

神主義によりすべてを解決して行こう

 

個人の問題

家庭の問題

氏族の問題

民族の問題

国家の問題

世界の問題

天宙の問題

神様の心情問題

 

「いかなる迫害の真只中におきましても、神を忘れることなく、神を疑うことなく、

   神により生まれた以上は神によってなし、神によって生活することができますよう

    に、神によって考え、神によってすべてを解決することができますように、

   神によらざるものはすべてないという立場を保って、神のために働き神のために

   行くことができますように直接お守り下さい。」

―真の子女になりましょうー文鮮明師  1969年4月20日 聖日説教の祈り・松濤本部

先駆者と我々の覚悟

 暗い闇の時代は終わる

 

待ちわびた 真の愛の太陽の時代 

新しい朝だよ

 

どんな人もどんな国もどんな宗教も 

すべてに 真の父母様の愛の光が届く時代

死ぬ目にあって それでも ために生きる愛で

勇気を持って生涯を駆け抜けた先駆者

我々は 先駆者の犠牲を無駄にはしない

 

我々は必ず

真のお母様と共に 神様の国をつくる

 

我々は ひとつだ 真の父母様のように 

ウリヌンハナダ 我々はひとつだ

 

必ず、勝利できる!

 

暗い闇の時代は終わる

 

待ちわびた 真の愛の太陽の時代

2017年は、真の愛の太陽が昇る時代

 

(2017.9.18)

 

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