我々はまず第一に冬を迎えよう

「だから先生は思うよ。先生は初めから春を迎えたくない。普通の人は初めから春が誰でも好きがる。皆さんもそうでしょう。春は皆楽しむ。しかし、冬はそうじゃないんだね。春を本当に春の味をわかる者は冬を過ごした者じゃなければならない。冬を体験しないで春を迎えた者は、その春が本当に自分の春になれないというんだね。だから、春から数えてそれが春夏秋冬、四季を通過してこそ、自分が一つのものに決まりがつくのに、春から出発して秋まで、そうは行かない。だから冬が悪いとして冬が悪いんじゃない。冬はどういう機会かというと生命の実体が完全に聖別される機会である。冬に冬より強い生命力を持っていないというと死んでしまうよ。いかなる実でもね、寒い所に、寒いといってそれが皆その生命が寒い、その寒いのにくたびれてしまったら、その次の春には芽生えない。いかに寒くても寒いそのそれ以上の生命力を持ってからこそ、冬をたちのけたその生命力を持ってからこそ、冬を勝利した生命力を持ってからこそ、春にその芽生える。春の喜びを迎える事が出来るというんだね。そうでしょう、そうなんだね。しかし、人間に例えて見れば人間にはそういう基準がなっていない。そういう基準になっていない。エデンにおきまして原理主管圏というのは、そういう人間にとって春みたいな試練の機会だね。試練の機会を通過してそれから春の時期を迎えようとしたんだ。だからそれを落ちてしまったんだから、それは試練の世界として復帰路程として残っているんだ。 だから我々はまず第一に冬を迎えよう。それは統一教会の主張する指導方針だ。」

―原理大修練会、メシヤ再降臨準備時代講義途中における御言1967年6月28日―

写真:厳冬 作詞:相田みつを

 

厳冬

 

樹木が余分なものを

捨てる季節

樹木の孤独に輝く

季節

樹木が黙って根を張る

季節

    そして一年の中で

    樹木が最も充実する

    季節

              みつを

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