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世界的カナン駅

天宙的カナン駅

神の心情的カナン駅

 

さあ!友よ

 

神の心情的カナン駅に向かって

中断なく前進して行こう

 

(2017.9.6)

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神真の父母三位一体勝利 永遠の朝 2017.9.6

神真の父母三位一体勝利 永遠の朝 2017.9.6

        

それゆえ、神はイエス聖霊を、後のアダムと後のエバとして立て、人類の真の父母として立たしめることにより、堕落人間を重生させて、彼らもまた、神を中心とする三位一体をなすようにしなければならないのである。しかし、イエス聖霊とは、神を中心とする霊的な三位一体をつくることによって、霊的真の父母の使命を果たしただけで終わった。したがって、イエス聖霊は霊的重生の使命だけをなさっているので、信徒たちも、やはり、霊的な三位一体としてのみ復帰され、いまだ、霊的子女の立場にとどまっているのである。ゆえに、イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らによって原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。

―原理講論・第7章キリスト論・三位一体論―

 

死なんと戦えば生き、生きんと戦えば死するものなり ―戦国武将・上杉謙信

 

すべてを失って、永遠なものを得る ―文鮮明師― (天一国教典・天聖経P881)

 

所感:短い人生の中で私の挑戦が始まった。

健康を失っても信仰を得る。その通りに私の人生は展開した。

6度の入院人生であった。神様の痛みを体験した。

私の愛した文鮮明師の生涯の勝利とは何か?

神様と真の父母様の三位一体の勝利である。

神様を中心に永遠の四位基台の造成を勝利したのだ。

 

「イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、

霊肉共に真の父母となることによって、

堕落人間を霊肉共に重生させ、

彼らによって原罪を清算させて、

神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために

再臨されるのである。」

 

人類の真の父母様・文鮮明師・韓鶴子女史御夫妻の勝利

永遠なる唯一の真の父母様の勝利を私は支持する!

 

2017.9.6

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『天一国ビジョン宣言』

目が見えないよりも残念なことがあるでしょうか?

もしあるとすれば、それは、 ビジョンを持っていないことです。 

目が見えるのにビジョンを持っていないのは、 たいへん残念なことです。

                                              by ヘレン・ケラー

天一国のビジョンについて

真のご父母様は、

「二人が一つになった国」と教えてくださいました

 

エベレストの登頂のように困難なことかもしれない

それでも

逃げずに勇気を出して覚悟を決めて

「一対一の関係」を

真の父母様の真の愛で勝利して行こう

 

神様と人間、心と体

夫と妻、親と子、兄と弟、姉と妹

食口と食口

家庭と家庭、氏族と氏族、民族と民族

国家と国家 地上と霊界

 

わたしたち全員

真の父母様と真の家庭を中心として

和合と統一の心情文化共同体を築いてゆく

 

真の愛でひとつになる真の幸福を実現した国家と世界、地球星実現

 

世界の兄弟よ

答えは、シンプルです

わたしたちは、歴史上、世界で一番、幸せな人々です

それは、明確なビジョンを持っている人だということです

わたしたちは、永遠に唯一なる真の父母様に侍って

世界と国を希望の世界に変えてゆく責任を神様から与えられている

互いに助け合い、ために生きて天一国のビジョンを実行して行きましょう!

 

       参照: 祝福家庭2015 Summer  77号

         特集 天一国のビジョン「真の愛で二人が一つに」

       2017年8月20日

大切な解恨(かいこん)成就の使命

統一教会の若者たち、はっきり知らなければなりません。このように悔しい歴史的な恨みがあります。先生一人の恨が問題ではなく、神が神としての役割をすることができず、数多い事情を残した歴史過程であります。神の骨が溶けるほどの悲痛な涙と血を流した足跡が、この世界の地で喊声を上げているのです。解恨成就の使命が残っているのです。ですから、先生が今、このようにしているのです。」「天国創建の意義」文鮮明師 1986年1月1日「神の日」午前十時ソウル本部教会

所感:解恨成就。正直、恨みは自分の中にもある。だが、神様にも恨みはある。

真の父母様にも恨みはある。食口にも恨みはある。先祖にも義人聖人、愛国者にも。

わたしたちは、文鮮明師が行かれた道を歩む者たちだ。「解恨成就の使命が残っているのです。神の骨が溶けるほどの悲痛な涙と血を流した足跡が、この世界の地で喊声を上げているのです。」神と世界の歴史的勇者となって解恨(かいこん)成就の使命を果たして行こうではないか。氏族のメシアとなって再出発して行こう!

天暦2017.7.1(陽暦8.22)             ー7.1節の27回記念日にー

道端に今日、8.22 咲いていた(写真)

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我々はまず第一に冬を迎えよう

「だから先生は思うよ。先生は初めから春を迎えたくない。普通の人は初めから春が誰でも好きがる。皆さんもそうでしょう。春は皆楽しむ。しかし、冬はそうじゃないんだね。春を本当に春の味をわかる者は冬を過ごした者じゃなければならない。冬を体験しないで春を迎えた者は、その春が本当に自分の春になれないというんだね。だから、春から数えてそれが春夏秋冬、四季を通過してこそ、自分が一つのものに決まりがつくのに、春から出発して秋まで、そうは行かない。だから冬が悪いとして冬が悪いんじゃない。冬はどういう機会かというと生命の実体が完全に聖別される機会である。冬に冬より強い生命力を持っていないというと死んでしまうよ。いかなる実でもね、寒い所に、寒いといってそれが皆その生命が寒い、その寒いのにくたびれてしまったら、その次の春には芽生えない。いかに寒くても寒いそのそれ以上の生命力を持ってからこそ、冬をたちのけたその生命力を持ってからこそ、冬を勝利した生命力を持ってからこそ、春にその芽生える。春の喜びを迎える事が出来るというんだね。そうでしょう、そうなんだね。しかし、人間に例えて見れば人間にはそういう基準がなっていない。そういう基準になっていない。エデンにおきまして原理主管圏というのは、そういう人間にとって春みたいな試練の機会だね。試練の機会を通過してそれから春の時期を迎えようとしたんだ。だからそれを落ちてしまったんだから、それは試練の世界として復帰路程として残っているんだ。 だから我々はまず第一に冬を迎えよう。それは統一教会の主張する指導方針だ。」

―原理大修練会、メシヤ再降臨準備時代講義途中における御言1967年6月28日―

写真:厳冬 作詞:相田みつを

 

厳冬

 

樹木が余分なものを

捨てる季節

樹木の孤独に輝く

季節

樹木が黙って根を張る

季節

    そして一年の中で

    樹木が最も充実する

    季節

              みつを

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