文鮮明師の宗教観
「自分の宗教を押し立てて人を踏みにじり、人の宗教を大したことがないと見下して、憎悪の火を燃やして紛争を起こすとすれば、そうした行為はすでに善ではないからです。私の民族だけ、私の国だけが正しいと主張することも同様です。」
(『平和を愛する世界人として』文鮮明自叙伝18p)
文鮮明師の宗教観を上記に紹介。文鮮明師は、人種も民族も宗教も国も見下さない、排斥しない。その大きな度量に敬服するばかりだ。だからこそ、世界的に宗教の和合と統一が可能である。
ただし、創造主・天の父母様(神様)に対する絶対的信仰は不動・不変・永遠である。
キリスト教徒の一部が、神社参拝を拒否した伝統。日帝40年時代、文鮮明師も相続。だが、文鮮明師の宗教活動は、宗教の和合において、神道・キリスト教・仏教・儒教・イスラム教を含むあらゆる宗教とひとつになって世界平和宗教連合を設立して現在、展開・継続しているのである。
人間も傲慢な人は、神を信じ愛すると言いながら人間を見下す。傲慢な人は、他宗教を見下す。わたしたちは、注意して行くべきだろう。
「再臨のキリストは、傲慢な人ではなかった。」と私は、信じています。