傲慢な人は、勝利できたとき傲慢になりやすい

傲慢な人は、勝利できたとき傲慢になりやすい。

 

私たちは、最高の時も、最悪の時も

 

神様中心に、天地人真の父母様中心に越えて行こう!

 

「傲慢になるな!」

文鮮明師は、わたしたちに、そのことを強烈に教えてくださいました。

 

以下の説教は、地方の教会長による礼拝説教です。心に残りました。

紹介します。

 

☆2011年11月13日 「動機の成長と減少感」

 

今月のテーマは「悟り」と「高い動機を持つ」という内容です。「礼拝」を中心として「伝道」と「教育」の授受作用により「祝福」という結果が生まれてくるわけですが、「礼拝」というのは神様を中心とした「動機」を与えられる場です。その「動機」を中心として「精誠」と「実践」の授受作用により「結果」が生まれてきます。考えていることが結果に現れるのであって、考えてないことは実現の可能性0%です。世界で最初に飛行機を作り出す人は頭のいい人でも飛行機の知識に長けている人でもなく、世界で一番空を飛んでみたいと思っている人です。つまり動機が結果に現れます。

動機は大きく分けると、神様中心か自分中心かの二つに分かれます。神中心の動機で歩むと、愛、希望、生命に溢れて情が成長します。自分中心の動機で歩むと、歩んだ分だけ疲れ、情の成長も乏しく不安定になりやすいです。動機が結果に現れると言うことは、逆に考えれば「結果」を通して「動機」を確認することができます。神様中心の動機で歩んだときは、勝利できたときまず神様に感謝しますし、勝利できなかったときは天に申し訳ないと悔い改めます。外国のサッカー選手でゴールしたあとにまず天を仰いで神様に感謝する選手をよく見かけますが素晴らしいと思います。

自分中心に歩んだときは、勝利できたとき傲慢になりやすく、勝利できなかったときは落ち込みやすいです。うまくいかなかったときに「何で自分はこうなんだろう…」と落ち込んでいたとしたら、そもそも勝利できないと落ち込むような動機で歩んでいるから勝利できないという話しになります。それは動機が自分中心です。このように、勝利できなかったとき自分がどういう思いを抱いているかを分析することで、そもそもどういう動機で歩んでいたのかということを知ることができます。

人間はサタン的な動機で堕落しました。それは同時に神様の動機を失ったということです。ですから復帰摂理歴史とは神様中心の動機を取り戻す歴史とも言えます。旧約前時代の祈りは自己中心な願い事の祈りでした。旧約時代になると「主よ、あなたの言われることを私はやります!」というサムエルの祈りに代表されるように、言われることをやるという主従関係です。それは「このようにしますから、このようにしてください。」というご利益的な動機にもなりやすいので、苦痛を感じたときは「神様、どうしてこうなんですか?」という思いになりやすいです。これは僕の立場です。新約時代は自分の罪を神様に悔い改めるようになります。そして苦痛を感じることがあったら「神様はこういう苦痛を味わってきたんですね。その神様の苦痛を味わえることに感謝します。」という立場に立ちます。これは養子の立場です。そして成約時代は「神様、御父母様に苦痛を与えてきたのはこの私です。私が神様と御父母様の苦痛と悲しみの解放に責任を持ちます!」という立場に立ちます。これが実子の立場です。

苦痛を感じたときにどういう思いになるかによって自分がどの立場にいるのかを知ることができます。苦痛を感じたときに怨みになる人は堕落アダム、堕落エバ(旧約前)の立場です。神の立場、中心の立場に立てる人は復帰された天使長(旧約)の立場です。自分の罪を悔い改めることができる人は復帰されたエバ(新約)の立場です。神様を解放しようとする人は復帰されたアダム(成約)の立場であり、それがまさに真の御父母様です。苦痛を通して悔い改め、恨みを感謝に変えることによって霊界が変わります。そうするといい人が伝道されます。

苦痛を感じるという事はすなわち減少感を感じるという事ですが、減少感がちょっとでも残っていると霊界が働きません。復帰摂理というのは減少感を越えることで前に進んでいきます。人間は堕落によって血統と心情を失いました。血統は「祝福」によって取り戻すことができますが、心情は「減少感を乗り越える」ことで変わっていきます。つまり「愛の減少感」というのは「祝福」と同じくらい大きな神様からの最高のプレゼントです。心情を変える鍵になります。「私の気持ちなんか誰もわかってくれない…」という思いになるときもあるかもしれませんが、わかってくれないほうがいいです。わかってくれる人がいたら蕩減条件になりません。減少感が減少してしまいます。減少感を乗り越えていくことこそが復帰の道の本質です。減少感を力強く乗り越えながら神様中心のより高い動機を掴んでいきましょう。

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