危機を克服しうる政治的指導者-久保木修己回顧録「愛天 愛国 愛人 母性国家 日本のゆくえ」より―

私心を捨てる 「政治家の決断は、重要です。間違った決断をすれば、国民に多大な犠牲を強いることになります。自分が有名になりたい。経済的な権益を得たい。こういう動機は、政治的判断を狂わせます。歴代首相の影の指南役といわれた四元義隆氏は、日本を戦争に導いた男は、松岡洋右だと言って彼を断罪しています。彼は近衛文麿内閣の外務大臣でした。四元氏は、当時松岡を訪ねたことを思い出して、こう話しています。「松岡は私心しかない男だ。彼が日独伊三国同盟を結んだのは、日本のためでもドイツのためでもない。自分が有名になるために、あんな同盟を結んだだけだった」。四元氏が政治家に求める資質が「私心のなさ」です。私心があれば、判断が狂います。長い目で見れば、国民を不幸に陥れます。政治家は、自分の繁栄を求める存在であってはなりません。国民の繁栄、子孫の繁栄こそが、政治家の求める眼目です。そのためには、自分をなくさなければならない。国民のためならば、犠牲になれる心情を持ち合わせていなければならないのです。政治家は、国家の指導者です。指導者とは、犠牲になれる人でなければなりません。人を犠牲にする人がリーダーになれば、その集団は崩壊します。自分が犠牲になれる人がリーダーになった集団は栄えます。これは、天倫なのです。犠牲になることが嫌いな人は、指導者になってはならないのです。そういう人を選んではいけないのです。指導者になるということは、大変なことです。その大変さを理解しない人は、リーダーになるべきではありません。今から四千年前のイスラエルモーセという人物がいます。エジプトで奴隷であったイスラエルの民を解放する指導者です。彼が、神から召命を受けて、イスラエルの指導者として任命される場面のことが聖書に生き生きと描かれています。神がモーセに告げます。「あなたをイスラエルを解放する指導者とする。さあ、行きなさい」。しかし、モーセは断ります。自分は口べただとか、誰も自分に従わないとか、ほかにもっとましな人がいるはずだとか、いろいろ言い訳をしながら、五度にわたって神の命令を拒んだのです。何故でしょう。彼は、責任感が人一倍強かったからです。ことの重要性をよく知っていたのです。生半可な気持ちで引き受けられるものではありません。指導者になることの大変さ、犠牲の大きさを理解していたのです。彼は自分がふさわしくないと思っていました。しかし、神はそういうモーセを何がなんでも指導者にさせようとしたのです。私心のない彼の内面をよく知っていたからです。モーセが示す教訓があります。それは指導者の資質として、まず私心のないこと。犠牲になる決意があるこさを理解しない人は、リーダーになるべきではありません。今から四千年前のイスラエルモーセという人物がいます。エジプトで奴隷であったイスラエルの民を解放する指導者です。彼が、神から召命を受けて、イスラエルの指導者として任命される場面のことが聖書に生き生きと描かれています。神がモーセに告げます。「あなたをイスラエルを解放する指導者とする。さあ、行きなさい」。しかし、モーセは断ります。自分は口べただとか、誰も自分に従わないとか、ほかにもっとましな人がいるはずだとか、いろいろ言い訳をしながら、五度にわたって神の命令を拒んだのです。何故でしょう。彼は、責任感が人一倍強かったからです。ことの重要性をよく知っていたのです。生半可な気持ちで引き受けられるものではありません。指導者になることの大変さ、犠牲の大きさを理解していたのです。彼は自分がふさわしくないと思っていました。しかし、神はそういうモーセを何がなんでも指導者にさせようとしたのです。私心のない彼の内面をよく知っていたからです。モーセが示す教訓があります。それは指導者の資質として、まず私心のないこと。犠牲になる決意があること。そして責任感が強いこと。今、日本には未曾有の政治的危機があります。混迷状態が続いています。しかし、それ自体は本質的危機ではありません。危機は、かえってより向上する契機になるからです。日本の本質的危機は、国民や政治家が危機を自覚していないこと。そして、危機を克服する姿勢を持ち合わせていないこと。さらにこの危機を克服しうる政治的指導者が見あたらないことです。」

久保木修己回顧録「愛天 愛国 愛人 母性国家 日本のゆくえ」―

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